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窓ぎわのトットちゃん

新幹線での帰り道「窓ぎわのトットちゃん」を読む。
子どもを育てるということについて考えさせられる。

私自身、トットちゃんだった。幼くて、人の話を聞じっと聞くことができない子どもだった。それでいて、自分に対する周りからの反応は敏感に感じ取っていた。だから、窓ぎわのトットちゃんが感じていた疎外感を自分のものとして理解できる。トットちゃんと同じように、子どもだから分からないだろう、と思って、目の前で無神経に放たれた言葉に傷ついたこともあった。

おそらく、その敏感な感受性はすべての子どもがもっているものだろう。子どもは、その柔らかい心と身体で、ありとあらゆることを吸収する。今、振り返ってみても、よくその意味が分かったなあ、と思うようなことに感動したり、傷ついたりしている。そんなとき、周りの大人が子どもに与える影響は計り知れない。

トットちゃんは「君は本当はいい子なんだよ」と言い続けた巴学園の校長先生と、娘の小学校退学事件にも動じない母の愛情に包まれていた。振り返れば、私も両親のもとで、深い愛情のもとで育ててもらった。学校や外の世界で、その幼さが受け入れられないときでも、叱られながら、でも根っこのところで、受け入れられている、愛されているという実感にいつも包まれていた。そのことは、その後の私の成長過程にとても大きな力を与えてくれた。トットちゃんの通った学校の校長先生や両親がもっていた、子どもに向ける愛情と教育に対する信念に感じ入るとともに、すべての子どもはそういう深い愛情のもとで育たなくてはいけないと思う。

帰国直前の6月末には、友人夫婦の出産に立ち会った。そのときに、目の前で命がうまれてくるのを見て、本当に、生まれてくるこの子にはなんの罪もないことを知った。だって、ついさっきまで、お母さんのお腹のなかにいたんだから。今まさにおしりからでてきて、口元であぶくをぶくぶくしながら、まぶしそうに目をあけているんだから。この子が悲しい思いをすることは決してあってはならない、そう思った。

子どもは実にさまざまな成長過程をたどる。はやく大人になる子もいれば、ゆっくり進む子もいる。いつか自分が親になるとき、自分自身が不安でいっぱいで、動揺してしまうかもれない。けれど、自分が子どもだったときに持っていた感受性と、親として子どもを信じる強さを忘れずに持っていたい。失敗しても、必ずそこに戻って来れる自分でいたい。

いいお母さんになること、いいおばあちゃんになること。
まだ果てしなく遠い道だけれど。


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コメント

元気?

みたいだけど。


何があっても子供の事は信じて、愛してあげてほしいな〜。
と何かあるたびに思います。
愛されて育った子は絶対最後はちゃんと帰ってくるもの。


ボストン、寂しいよ〜。

投稿: あいね | 2007年9月10日 (月) 09時36分

あいねーーーー!!!!!!!
元気か?
書き込みありがとう。
最近どうしてるかなあと思ってたのよ。

「愛されて育った子は最後はちゃんと帰ってくる」
ほんとやね。

帰ってこーい!!!!

投稿: さやか | 2007年9月10日 (月) 10時17分

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